二次障害にならずに、困らずに大人になったわたし

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教室での勉強を強要されなかったことが幸いした

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昔はおおらかだった学校、そして心の病も少なかった理由は?

わたしは、年齢としてはお婆ちゃんなのですが、そのころの学校では、
特に女の子は、必ずしも授業を聞くことが良いことではありませんでした。

これって、時代が味方したと、わたしは考えています。
普通に考えれば男女差別ですが、当時は男女差別にはならなかったので、
わたしは自分の得意な、
「職員室でのお茶碗洗い」や
「校庭の草むしり」をしていました。
そう、あくまでも、得意で自分が好きでお手伝いをしていたのです。

逆に無理に授業を受けさせると、やっぱり授業の邪魔になる子でした。
先生に食い掛って質問するし、先生の話は聞かないし、いわゆる発達障害の子でした。

今なら、ここで特別学級に入れられたり、親が付き添わなければいけなかったりするのでしょうが、
わたしは幸いに成績が良かったことと、近所のお姉さんが学校まで連れて行ってくれたので、幸いにも、普通学級で普通に勉強のできる子として育ちました。
その分、友達や通学のお姉さんにはご迷惑をかけたなと、感謝してやみません。

現代の学校だと、病んでいたと思う

今の、普通学級の先生の話を聞くだけの授業、そして、発達障害だと分かると特別なクラスに入れられてしまう仕組み、それだけじゃなくて、得意なことをさせてもらえるコースがあればいいのにな、と思います。
もちろん、通学しないという選択もありますね。

授業を受けないという選択もある

確かに、学校では勉強をする権利が子どもたちにはあります。なので、そうそう、わたしのようにお手伝いをさせるわけにもいかないでしょう。
「あ~、今の時代に生まれなくてよかった」と、わたしは思います。
今の時代の教育方法では、わたしはおそらく心を病んで、自分のことを何もできない子供だと思い込んで、今頃、不幸の中で淀んでいたかもしれません。

素直に、得意なことは
「スゴイスゴイ」と褒めてくれて、どんどんやらせてくれる先生がいたからこそ、今のわたしがあるんだよってことは、ここで声を大にして伝えておきたいことです。

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